制作の背景

過去の作品

子供の頃から絵を描くことが得意であったこともあり、画塾で素描や油彩画のアカデミックな訓練を受けた。大学在学中は、それまでの具象的な表現から新たな表現を生み出そうと、ヨーロッパの抽象絵画やアメリカの抽象表現主義などの絵画を学んだが、描くべき主題や問題意識すら見つからず模倣するばかりであった。当時から、色を扱うことに苦手意識があったため、白黒のモノタイプ(版画技法)を使用し、1996年の卒業制作(図右下)を作成した。しかしながら、それらは、迷いと葛藤のなかで、オートマチックな手法に頼ることしかできなかった結果でしかなかった。

意識変容体験

1997年10月25日、大学卒業後の孤独な状況の中、制作が思うように進まず将来への不安をかかえ苦悩の日々を過ごしていた頃、突然、五日以上に及ぶ不眠状態に陥った。一睡もできない日を追うごとに、疲れや眠気を感じるどころか、張り詰めたような緊張状態が続いた。不眠五日目には、切迫した恐怖感情により精神錯乱状態に陥った。そしてその直後に、これまでに経験したことのないほど感覚が冴え渡り、光り輝く妄想の世界がひろがった。自己と世界が幸福な一体感をもつ特殊な心身状態となり、憑かれたように無目的に大量の絵画を制作しつづけた。そこで描かれた絵は、以前の鬱々たる表現スタイルからは全くかけ離れたもので、無数の殴り描きの集積が、画面の枠を超えて、部屋中に拡がっていくという、一種異様なものであった。ようやく睡眠をとることができた後も、自室に閉じこもりドローイングや粘土細工などを朝から晩まで勢力的に作り続けた。もう二度ともとの状態に戻ることはないと誰もが思った。

しかし、そのような状態が数ヶ月間継続したのち、安定した精神状態に戻ると、鮮やかな色彩の世界は消え去り、それまでの創作意欲がみるみる失われた。その後は、何度と試みても同じ様に絵を描くことはできず、もはや死んでしまった風景を灰色のガラス越しに眺めるような、距離をもった関係で世界と接するようになった。

創造性と
脳への探求

1997年の意識変容体験によって“描く喜び”、もしくは、“本当の内なる表現”を知ってからは、描きたいという衝動もなくなった今何を描いても嘘としか思えなくなった。以前あれほど夢中であった巨匠たちの作品が、どこか思惑的にさえ見えるようになった。そもそも、自分が今見ている世界は真の姿なのか。当たり前と思っていた物事、普遍的と信じていた価値観が音を立てて崩壊しはじめた。そして、自分はなんら特別な才能も持ち合わせていない凡庸な人間なのだと悟るに至り、絶望の淵に立たされたのであった。もはやこれ以上、美術の道を歩み続けることは無謀としか思えなかった。そして、ついに筆を置いた。

それから4年間に渡り美術の世界から完全に離れた。当時の異様な体験は誰にも公言することなく、自分自身の中でも少しずつ影を潜めていった。しかし、たまに街で見かける障害者の作品展などを目にすると、なぜか心の奥底にしまい込んでいた、当時の色鮮やかな美しい光景や爆発的な表現力の記憶が、フラッシュバックのように突如として鮮明に思い出されるのであった。それまで見向きもしなかった、精神疾患や脳の障害をもつ人々の作品が、圧倒的な独創性と説明のつかない親近感をもってこちらへ迫ってくるのであった。彼らの作品の中に見られる異様な線の連続や執拗なまでの細部へのこだわりを見ていると、まるでデジャヴのように、体験当時の自分の手の先を追っているような感覚に陥り、それらを描いている時の彼らの内なる歓喜の声や画面に食らい付く姿が手に取るように思い描かれた。この不思議な感覚はどこからくるのだろうか?自分の絵と彼らの絵を並べて比べてみると、類似する特徴が次から次へと見つかるではないか。彼らの心身の状態と、当時の自分の不眠状態との間に共通するメカニズムが存在するのだろうか。そして、それらの謎を解き明かすことのなかに、ヒトの創造性の根源はなにかという人類の重要な問題を紐解く鍵が隠されているのではないだろうか。さらには、人類の進化と地球や宇宙の間にはどのような仕組みが潜むのかといった問題へと繋がっていく。

このような問題意識を持ち、2009年より認知神経科学研究を開始し芸術と脳に関する様々な研究と分野横断的な美術表現を行うこととなった。