リサーチ

創造性と脳機能障害の関係性について

1 | 芸術と狂気の歴史

19世紀半ば、西洋文化が行き詰まりをみせはじめ人間性の回復への風潮が高まり、心霊主義やシャーマニズムなどが流行した。そして、20世紀前半、精神分析学の創始者であるフロイト(Sigmund Freud1856-1939)により無意識や深層心理が発見された。また、精神科医たちが精神病患者の作品に芸術的価値を見いだし、特に、ドイツの精神科医ハンス・プリンツホルン(Hans Prinzhorn,1886-1933)による『精神病者の芸術性(1922)』は、当時の前衛芸術家達に多大なる衝撃と影響を与えたとされる。そして、それまで精神の暗黒面として厭われてきた狂気や無意識に価値を示し、シュルレアリスムやプリミティヴィズムの傾向の芸術家たちにより、新たな美の価値観が見出された。とりわけ、フランスの画家ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet1901-1985) によるアール・ブリュット宣言(1945年)は、美術教育を受けた者が合理的に作ったものよりも、美術制度の枠の外の者が作ったものにこそ本来的な芸術的創造性“生の芸術”があるという趣旨を記し、精神病患者に作用するメカニズムは健常者にも存在するとした。 

イタリアの精神科医であり犯罪学者でもあったチューザレ・ロンブローゾ(Cesare Lombroso 1835-1909)は、『天才と狂気(Genio e follia、1864)』、『犯罪人論(L’uomo delinquente、1876)』のなかで、犯罪における精神病理学的分析に患者の創作物を用いることができると考え13の特徴を挙げた。それらは、「装飾的」「抽象的」「無益さ」「細部への偏執」「非合理性(固有色を逸脱した色彩)」「反復性」「象徴的性格」「部分の連続による全体構成」「わいせつ」「グロテスク」「プリミティヴ」などである。これらの特徴は、アール・ブリュットの作品や後述のアンリ・ミショーのメスカリン素描にも見られる。

現在の臨床精神医学や認知神経科学の研究では、統合失調症や双極性障害などの精神神経疾患や、認知症アルツハイマー病などの神経変性、また、自閉症サヴァン症候群やアスペルガー症候群などの神経発達段階での機能障害、そして、脳梗塞による失語症患者の絵と脳の関係性が示されている。ヴァン・ゴッホも自閉症や統合失調症だったと一部の研究者が述べている。以下に、精神障害や脳の器質的病変の発病前と後で劇的に絵画表現が変化した例を示す。

イギリスの挿絵画家ルイス・ウェイン(Louis Wain 1860-1939)は、ロンドンに生まれ、1879年にウエストロンドン美術学校に入学した。その後、飼っていた猫を題材とした、児童書の挿絵、新聞、雑誌などで大成功した。しかし、結婚後まもなく妻の癌が発覚し闘病生活に入るとともに、1915年頃から精神に不調をきたし始め、1924年に統合失調症の診断を受け入院した。入院してからの猫の絵は、彩度の高い色使い、装飾性、緻密性と反復性が特徴で、抽象的な幾何学模様が描かれるようになり、ついには猫の形が原型をとどめないほど装飾的になっていった。 
イギリスの画家、リチャード・ダッド( Richard Dadd 1817-1886)は、13歳から絵を描きはじめ、20歳でロイヤル・アカデミー美術学校に入学した。1942年に中東を巡っている途中に、精神に異常をきたし、ついに1843年に父親を殺害した。ダッドは、現代の精神医学で統合失調症に当たるとされる症状により、王立精神病院などの収監病棟で40年近くを過ごし、そこで生涯を終えるまで絵を描き続けた。以前の彼の絵画は全体的なバランスのとれた構図をとっていたが、発病以降は、驚異的な緻密性によって、強迫的に画面を埋め尽くしている。
ドイツの画家、ロヴィス・コリント(Lovis Corinth 1858 –1925)は、1858年にドイツ北部のタピアウに生まれた。1976年にゲーニスベルグ美術入学し、その後も11年近くに渡り伝統的な絵の修行を積んだ。しかし、1911年(53歳)に脳卒中を起こし右半球損傷を受けた。彼の左半身は麻痺し右手も震えた。しかし、徐々に病状が回復すると再び絵画制作を始めた。彼の病後の絵は、正確さは失われているが、強い色彩と陰影の誇張や豊かな筆のタッチにより、かえって表現が豊かになったといえる。 
ドイツ系アメリカ人画家、ウィリアム・ウテルモーレン (William Utermohlen 1933-2007) は、アメリカのサウスフィラデルフィアに生まれ、ペンシルバニア州立美術アカデミーで学んだ後、1950年代にはさらなる絵の修行のためロンドンに移り住み精力的に絵画制作を行なった。しかし、1995年(61歳)にアルツハイマー病の診断を受けた頃には自画像などの小作品が増えた。病状の悪化に伴って空間認知や形態把握の能力が徐々に低下していったが、強い原色使いや直線による独特な自画像は、より豊かな表現ともいえる。 

2 | 神経伝達物質と創造性

フランスの詩人で画家のアンリ・ミショー(Henri Michaux 1899-1984)は、1954年頃からメスカリンなどの幻覚剤を自ら試し、その効用のもとで詩や絵の創作に取り組んだ。以下に示す彼のメスカリン素描は、  メスカリンを服用した数時間だけに、緻密な線が画面全体を覆い尽くすという劇的な変化が見られた。臨床精神医学の研究によると、メスカリン(Mescaline)やそれと良く似た化学構造をもつLSDの急性中毒症状もこのような色覚や知覚の異常、気分の高揚や創造的衝動を引き起こすことが示されている。それらの原因は、脳内での過剰な神経伝達物質の放出によると考えられている。つまり、脳の神経伝達機構における変化によって絵画表現が容易に変化するといえる。

神経伝達物質とは、脳の中枢神経のシナプスで放出される化学物質である。シナプスでは外界の情報を受けた感覚受容細胞が電気的信号を発すると、特定の神経伝達物質が放出され、シナプスの後続の神経細胞の活動を促進または抑制させる。このようなLSDの作用は、メスカリンなどのアルカロイド系の物質や、コカイン、メチルメチルフェニデート、メタンフェタミン(MAP) などのアンフェタミン類と似た作用をもち、カテコールアミン作動系(ドーパミン作動系・ノルアドレナリン作動系・アドレナリン作動系)のシナプス伝達を増強し、特にドーパミン作動系を活性化させるとされる。近年、ドーパミンがヒトの注意や情動、意思決定などに影響するメカニズムが霊長類などの研究により解明されており、さらに、パーキンソン病の治療に使われるドーパミン作動薬などが、患者の絵画表現を劇的に変化させることが示されている(Eugénie Lhommée, 2014)。これらのことから、神経伝達物質のドーパミンと芸術的創造性の関係性は深いことが示唆される。

その他、躁病患者において睡眠障害は必発の症状であり、比較的軽い場合には入眠には支障はないが、短時間眠った後午前2〜3時頃から覚醒して活動をはじめ、重傷の時にはほとんど一睡もせず興奮状態を続けるという。躁状態の患者は、感情の高揚とともに欲動も亢進し、自我感情の高揚(楽観、自信過剰)、誇大傾向、意欲亢進、多弁の他、創作行為が見られる場合があり、絵画作品の多作や色彩が派手になったり構図が大胆になったりするという。 このような覚醒を起こす重要な細胞群(脳幹網様体賦活系)は脳幹や視床下部にあり、ホルモンや神経伝達物質を放出し意識や睡眠・覚醒を調節する。それらの神経伝達物質として、モノアミン類(ノルアドレナリンやセロトニンなど)やアセチルコリンなどがある。躁病などの気分障害における不眠においては、このモノアミン作動系における異常な活動によるものとする「アミン仮説(ドーパミン・ノルアドレナリン・セロトニン)」を中心に研究が行なわれている。このような神経伝達系における過剰な覚醒状態が、睡眠を妨げるとともに、精神症状や創作行動に影響を及ぼす可能性が考えられる。

3 | 描画と言語機能

イギリスの思想家で小説家のオルダス・ハクスリー(Aldous Huxley,1894-1963)は、1953年に自らメスカリンを服用し、その一部始終を手記に残している。彼はその体験を通して言語と創造性の関係について言及している。「われわれは言葉や記号体系の恩恵を蒙ると同時に、たやすくその犠牲者ともなりうる。言葉を効果的に扱う術を学ばなければならない、と同時にわれわれは所与の事実すべてに品種のレッテルを貼ったり解説的抽象を施してまったくの陳腐なみせかけへと歪曲したりしてしまう概念という透明な媒体を通さずに世界を直に眺める能力を保持し、必要とあればそれを強化することもしなければならない。(Aldous Huxley.1995年;訳書『知覚の扉』p94-p96.)」と訴える。また、シュルレアリスムなどの20世紀の前衛芸術家たちも、言語により本来的な創造性が抑制されているとして自動記述(オートマティズム)を試しすなどしたが、当時の彼らが目指した精神の高みの謎が、現代の認知科学領域により実証される日が近づいているかもしれない。

言語機能と創造性については、これまでにも自閉症サヴァンや アスペルガー症候群、また、脳梗塞により言語機能障害を発症した患者の報告がある。特に、左下前頭葉から左側頭葉の言語野周辺の萎縮により言語機能障害を発した認知症患者や、左側頭葉の意味性言語野を損傷した失語症患者などが、突如として芸術的な活動を開始した例もある。これらの例は稀ではあるが、創造性と言語の関係性はあると考えられる。

言語機能と言っても、脳の広範囲に渡る複雑なネットワークによって営まれているが、時に、左中側頭葉(left middle temporal gyrus: l-MTG)は、見たものの高度な意味理解を司る座とされる。また、絵を描く行為について考えて見ても、視覚情報処理、心的イメージ(頭の中である像を想像すること)、意味処理、ワーキングメモリ、随意運動、注意と注視、判断と運動制御など、高次の脳機能が複雑に関連している。このような中でも、意味処理などの言語的機能が重要な部分を担っていることは、上述の言語機能障害と創造性の例からも言及できると考える。